空-Q-所為

在の実践

それは痛みかもしれない

予防線を張るなっていわれても, 怖くて, 臆病なものだから, 人生のいろんな節で - 大小問わず - ぼくの場合なまじ局所最適がみえやすかったばかりにひとよりも - 保険をかけて生きてきた.

怖いのかもしれない. 保険をかけて, 何重ものセーフティーネットのなかで, そこにファイアウォールを築いて, よろしくやっていれば, いくらか安心だ. セーフティー. そこに危険はない.


「人間の在り方」なんてものを自分が規定できると - そんなことはないのだけれども, そう思い上がっている節はあった (ある). しかしながら, どうやら, 「よくわからないもの」だらけ - マスの原理とはいったものの, 体感してみれば, それは「よくわからない」だけではなく, 「意味がわからない」ものでもあった. しかも, 端的にいえば, 不愉快なことに, 意味のわからないものによってそこで意味が重ねがけされているようであった. 意味を脱却せよと嘯いてはいるが, 自分がここまで意味に翻弄されるとは思っていなかったのかもしれない - なんにせよ, 「意図不明なカタツムリをめいめい食っている」ようにも感じられる.

けれど, それはあくまでわたしの PoV においては, わたしにはない現実で生じた痛みも, 苦しみも, うんざりした理解も, 血も, 骨もない - わたしにあるのはわたしの現実だけ. 「わかりあえる」と幻想することもあったが, 結局は「わかりあえなさ」だけがずっと残っている. きっとそこには人生分の発見が - いや, 経験があったはずだが, それをわたしは知らない. わたしが明示的に与えられうるのはその上澄の言葉と, いくらかの仕草と …… とにかくごくわずかの部分だけ. 人生は - すべての意味を取っ払ったとき, 別に HAPPY でもなんでもないのかもしれない.


どこか遠いところにいきたい. そのワンダリングは, そうとしれず, あるいは倒錯なのかもしれない - 一度きりの, 「いま」「ここ」以外への想像力が, 対応しない現実をみせてしまうから …… それもある意味, 精神病なのかもしれないな. みんな苦しいだけの ? 「いま」が寒いのは, 嫌なのかもしれない.

「いま」が寂しいのは, 怖いのかもしれない. けれど, 「いま」から逃げる想像力について, 対応する「いま」はどこにあるのだろう ? わたしが寂しいのを紛らわすために, いろんなファイアウォールを構築して, わたしをいまから遠ざける - そういう道具の開発. それは, けど, 虚しいような気がする - ぼくにとっては. 悲しいことに - 喜ばしいことに - あるいは …… そこに意味なんてないし, 感情にわざわざ御膳立てすることもない.

そろそろ受け入れてもいいんじゃないだろうか. 不甲斐ないものを. 理なきものを. 悲しいものを. 痛いものを. 馬鹿げたものを. 無菌室で展示するのでなくて, 荒れ果てた土壌のなかにいることで …… けれど, それは「いま」「ここ」なんだろうか. 「いま」「ここ」はどうあるんだろうか …… いや, 意味のない問いかけばかり - 痛みがあるようでない - ないようである場所.

結局のところ, 怖くって逃げている. ぼくは痛いのが, とても怖かった - そして怖い. 泣き喚いて …… 子供とかわりなく. 痛みのある「いま」に戻って, 痛いときに泣き喚くようであれば …… それがいいもわるいもわからない. それは痛みかもしれない.

けれど …… 痛いまま死ぬのは嫌だ - 縋りたい. 縋って生きていたい. 機械仕掛けの神に救われたい. 七十回輪廻して助かりたい. そんな …… 未来視 - - - すべてが正しい妄想をする: 弱くて, しょうもない自分がいる.