空-Q-所為

在の実践

刺青

純粋が存在のかたちとしてあり得ないように, わたしは「わたしでないもの」によって構成されている. 言語を廃せば, あるいはとりかこむ自閉性に気付けば, いいたいことなど特にはなく, コミュニケーションは時間方向に延長される …… すなわち, 接続し得ない過去・未来の "自分". (しかしながら, 「接続し得なさを感じること」は「不適切なメタ化」的要素が含まれていないか ?)

積み石崩しとおなじ作業がわたしのなかで繰り返される. 結局のところ, 純化されたいという神話的欲求がそこにはあるのだろう. (そういうのがあってもいいじゃないか, ともおもう.)

根源的なことだけ云おうとしているわりには, くだらないことばかり気にしている. 深く潜水する覚悟 …… 「覚悟」という概念は, ひとつの重要なポイントを含んでいるのだろう. 純粋なものでなくなることを, わたしが認める: そこには, 覚悟があるのかもしれない.

人生が何周もできればいいのにとはおもう. けれども, ほんとうに一回きりのものを, "再現されないかたちで体験すること" にもひとつの真髄がかくされているのだろう …… .

"再現されゆくもの" にプリミティブなレベルでの引力を感じている. infrastructure の美学とよべばいいのか, 「大きな呪い」のなかに組み込まれているだけなのか. ぼくは卵ではなく, すでに - あるいは最初から - システムであったのだろうか. ではわたしが損ねていくすべてのものの対して, ぼくは無限の損害賠償をできないのだけれど, それに関して責めたてる役者が設定されていく. しかし, 皆うわの空である.

すべての対立項が, その区別をうやむやにしていく. daydream に融解されていく. もはや在るべきものなどなにもなく, 微なノイズだけがただきこえる. 三時間の背後で, 透明な巨象がクジラを屠っている.