空-Q-所為

在の実践

状況横断的技術, 複雑系の視野

大概の状況というのは, (一見そうみえなくとも) 複雑な要因がそれぞれ密接に, 有機的に, 相互関連しつづけている*1. しばしばこれは, 実際に我々がなにか「具体的目的」のために行動を起こすための obstruction となってあらわれる. しかもこの obstruction は当然個別的な状況に依存し, しかも複雑さゆえに「総体を完全に記述する」ことは困難を極める.

このとき,「器用である」とはどのようにして可能であるのだろうか. ある種にこれは, こういった「複雑系」の族に対して横断的な性質が見出しうることの状況証拠であるとして理解できる. 意識的であるかに拘らず, 行動原理がこういった "横断的な性質" のもとで目的論的に適合している場合に, しばしば「器用である」という現象が実現される.

ではそのような "横断的な性質" として, どのようなものがあるか …… まずひとつには, ある種の意思決定のパターンによって, 目的論に適合した行動を選択できる - というものがあるようにおもう*2. そしてその意思決定のパターンとはどのようなものか …… 自分は知り得るメソッドは結局のところモデルの設定あるいは学習のいずれか (その混合) に帰着される.

モデルの設定による意思決定とはすなわち, 状況を近似するであろうモデルを設定し, そのモデルのもとでの solution (それを現実に翻訳した行動) を実行する, というように要約されるだろう. すなわちひとつの「複雑系あるある」として, モデルによって近似可能であるという性質が挙げられる.

知能の一側面として, モデルの設計技術あるいは計算技術 (または逆算技術) を抽出すると, このとき知能の存在が目的論的行動をおおまかに保証することが理解されるだろう. モデルを設定するとうまくいく範囲においては, モデルを設定できる技術をもちその技術を実践すれば, 一定の再現性をもって目的を達成しうる.

もうひとつのメソッドに学習というものがあるが, これはある意味では「経験」の有機的累積*3としての身体であると理解している. これは結局のところ直接的に入力と出力 …… より正確にいえば, 身体にわたるセンサーの検知情報のあいだの関連を累積させ, その関連に沿って (半自動的に) 補完物としての入力を実行する, というものであると理解される. これもまたもうひとつの知能の側面であるといえよう.

我々がしばしば知能と呼んでいるものはこういった機構の有機的混合である …… そのように私は理解しているが, 「器用さ」というのは結局こうした状況横断的発想のもとではより統一的の理解できるように思われる.

*1:さらに補足すると, しばしば考慮される (特殊な) 場合には, 我々の意図的な行動により複雑系的状況を変化させることができる (とされる).

*2:トートロジーというより無意味的な言明に思えるかもしれないが, これはひとつには議論範疇の限定 (あるいは規定) であり, あるいは「この範疇の拡大を狙う」といった実践の呼び声でもあり, 逆説的に「日常的とされる状況が何故この範疇におさまりうるのか」という問を提起し, またこの範疇の外側にも目を向けることができる.

*3:近年の人工知能等の着目に伴ってより注目を浴びているように思われる.