空-Q-所為

在の実践

メタ理解についてすこし

メタ理解は, その字義性のとらわれるのではなく, ひとつにはどこかでその影がみいだされたということ. 言語がまとわれている. とにかく, まといがあったにせよ, ものごとの側面がつねに多層的あるいは多相的にありうることをよくわかっている必要がある.

さてこのとき, 逆にメタ理解のうえを走破するには ? すなわち, われわれが「すでにおこなっている」連想的ゲームを, 射程をもっておこなうということ: つまり, finite-like で実装するための infinite の感覚を …… しかし, もはや, 言葉はすでに finite-オブジェではない.

メタ理解はこの観点のもとで, ある意味では「表現」とおもうことができるかもしれない (represent するもの). もちろんつねにそこなわれてゆく世界の鮮度はそこにはない.