空-Q-所為

在の実践

mi mi mi mi mi

猫がゆるゆる向かっていたので, そこには絶望にみちた海があったのでした.

ドット絵が, 足を掬うように蛍光色の道義を確認したなら, 朝に泣いて, 対なし練度の三回にフラットな視点 - ナイーブに, を. 一切合切には木星まで行ったときのデジャビュの話をしましょう. 総じて. 総じて〜 ? $A$

Introduction. あたわず無限回カーソル操作をしよう ! 意図不明のカタツムリの話, 話, 話, 話, 話, ストーリーテラーはうんざり. もう一度考え直せばどうしてわたしがエピソード記憶装置なんだ ? 近代化されて d d d 最高の思い出になろう !

levelwise レモン キュウリ ウニ

痛がった過去の絵図が青くなったら, 旬だし収穫しよう - それはみんなでおいしいです. 訪れたり訪れなかったりしてそのあいだに百年かかったらリードです. 後頭部が, 眼球の奥と癒着したのを確認するための薬を出しますね〜. ぺ

摘出された湯はこちらです : : [link].

複数の世界

ずっと平行線を感じる. わたしがわたしでなかった時空のあなたが, わたしのことを見透かすように, そこにいる. わたしはあなたのことなどひとつもわからないのに.

それは一方的な通報. 無音のサイレンがわたしの首を絞めて, わたしは苦しくて, でも苦しいばかりだからそれでいい. 視界がぼやけて - 足がもつれて, 転んで, 地に這いつくばるような傷がついて - どこかにあなたの幻影を探して …… 腹がすいて, 眠くて, 薬を飲んで - 怖くて, 寂しくて, 全部がそんな感じで, もう生きていけないんだ.

脳機能が萎縮するのを感じる. このままどこにもいけなくなって, 暗い箱のなかでヤアヤアいうだけの骸になったら面白いなあ. 誰か弔ってくれるか ? 骨くらい拾ってくれともおもうが, もう放っといていい. そんなのは.

最終列車がゆくのを見守って, それが最終ならわたしがいまいるだけのこの駅はもう駅ではないのだろう. では, 駅に入ったわたしは一体どこから出ていけばいいのだろうか. ひとりだけ取り残されたみたいだ. ここには優しい友達はいない. ひとのぬくもりはどこにもない. 寒い. アァ身体が冷えて怠いんだ, 焚き火をしたいが - そんな手立てはない. どうやら今日でもってその日暮らしを辿る自転車操業は失敗したみたいだ. 償いのため凍えて死ねというのか ? いや - 結局それもわたしの解釈でしかないんだろうな. どこにも事実なんてない …… わたしが存在したという事実なんて, コーディングの果てに拾われた幻覚症状なのかもしれない. それは, わたしがそうなのか.

寒い. ここは暗い. 悲しい. だれもいない. どこにも誰もいない. ただ孤独な時空に - 惑星にわたしはいて …… 宇宙の孤児だったら. 結局そこに孤児がたくさんいるなら, そこはあまりにも救われないだろう. 救いがあるなら …… わたしもそうありたい …… わたしには, 勇気がないのかもしれない. この寒い世界を出ていく勇気が.

もし来訪者がいるなら, わたしが百年の時空を越えて待っていたと伝えてほしい. …… 僕は昨日に墓にこもったようだから.

トリミングされた光景

ピアニストがいた. 雑多な街があった. 夜があった. さらにいえば, 移ろう哀しみと, 旅人が歩むその軌跡と, 揺蕩うクジラの群 - 紙飛行機, 笛の音 …… そういうものがある程度不調和に …… あるいは配置されるようにもみえた. それはある意味では, わたしの反射でもあった.

しかし, あるとき …… いや, ある行為において, 世界の断片 - 痕跡が残された. その世界は, どうしようもないほどに恣意的に切り取られ …… あるいは時が止まり, 事実となった. 契約された事実誤認に …… 愁許さずのフォトメーカー. けれども, それも生かもしれない.

丁寧に, 大雑把に, 大胆に, 恣意的に切り取られた絵画は, 今日も意味を混濁させて歩いていく. そこには正しさも臆病もなく, つまりそのものとなったり - ならなかったり - とにかく, 何処かへ進んでいく. そのさきに太陽も月もない. 字義的な世界に, わたしにあてられて, 頭がおかしくなりそうだ.

世界化可能物, あるいは数学

ぼくは造語で "hogehoge物" みたいな言い回しをよくしてしまう. それはともかくとして.

色々話の筋の通っていない記述があるとおもう. まあ, ブログなのでなにを書いてもいい - そういうことにして. けれどめずらしくひとが読むような想定で書きます.


数学をある程度やってみると, 結構のひとが一度くらいは, 「これうまいことできてんなぁ」みたいな感を抱くかもしれない. なんだか, かなりすべてのことが整合していて, まるでひとつの「数学的世界」があり, そこでは扱う概念は「実体」をもつような気すらする. 「あれ ? ただの記号のはずなのに, これらはなんだか実体を持っているような気がする - そしてわたしはこの数学的世界に関する物理法則を学習して, この世界の挙動に関する直感すら持ってもいる !」

とにかく, ぼくにとってそういう経験は一度くらいはあるし, 多分そういうひとがかなりいたから, 次のような数理哲学的問いが生まれたのだとおもう.

  • 「数学はつくられるものか, 発見されるものか ?」

この問いはまあ, ある意味で解答不能な側面があるし - (最近の自分の語法でいえば) まったくもって "的外れな問い" であるのだろうともおもう. ついでにこの問題は多分いくつもの (ある意味では) 分離可能な …… しかも分離してもむずかしい問題がかくされている. というかこの問い自体が多種多様に読み替えることもできてしまう, そういった曖昧を孕んでいるから - ぼくはそういう曖昧はこういった探究においては一般的には好きではないのだけど - まあよくある slogan ということで.


つくられるもの, の立場っていうのも色々あると思っている. たとえばひとつの側面としては, なにか数学的な探究を行う際に, 自らで概念を設定して, 命題を設定して, それの繰り返しによって, ある意味では建築物のようにして - 数学をやっている. 実際に常にその側面はあるようにおもう. さまざまな概念の発明によって, 数学は進歩してきたらしい.

しかしながら, しばしばその概念・命題の設定において, 「人間にとってわかりやすい」ようなオブジェがそこに想定されているようにおもわれる. 「関数」とかはひとつの基本的な例かもしれない - まあ関数概念だってそもそも人類の文化年表のなかでもわりと最近のほうで生まれたのかもしれないが.

「人間にとってわかりやすいイメージ」をコードすることでしばしば数学はなされている. これは数学的事実ではなくて, 数学を営みとしてみたときの, 人間の傾向についての記述. (もちろんぼくはぼく以外の人間がほんとうにどう思っているかはわからないけれど, しばしばこういう問題意識は共有される.)

ここで「コーディング」の問題は, ぼくは哲学に詳しくないからあまりわからないのだけれど, 多分「記号論」と呼ばれる分野においては非常によく探究がなされているのかもしれない. いろいろそういうのも参照すべきかとは思うが - まあなにかそういう本を読んだことがあるわけでもないので. ただとにかく「コーディングが何故可能なのか」っていう問題はかなり根源的なことなんじゃないかとおもう. たとえば, 「世界に関する感覚から世界に関する想像を構築することは何故可能なのか」とか, 「文を読んでその意味を理解できるのは何故なのか」とか, そういう類の問題だと思っている. もしかしたら, むずかしいということは, コーディングという概念自体に強い hidden constraints がかくれていたりとか, 素晴らしい "的外れ" である可能性はあるけど, とにかくぼくにはまったくわからない - わけのわからない問題.

けれど, とにかく, 話を戻すと - 人間が記号列によって記述するさまざまの数学的概念は, なにかをコーディングしたものになっている. しかしながら, 「なにかってなに ?」.


なにかってなんなんだろうか. われわれは "1" を実際にみたことがない. 多分. けれど, 何故か "1" のイメージを持つことがある …… 素朴には. (こういった素朴さに制約条件が秘匿されているのかもしれないけれど - とにかく.)

でもまあ, 大雑把にいったとき, 「ひとつのもの」に共通して受ける印象だろうともおもう - しかし「ひとつのもの」ってよくよく考えると意味不明だ. 何故こういう発想がわれわれは可能なんだろうか.

明快なアンサーをもっていないが - 一旦保留にして, けれども "1" くらいの場合には, 世界に対応物がある気がする. しかしながらたとえば …… "楕円曲線", "副有限群", "Cohen-Macaulay 環" とかそういうのって世界に対応物ってない気がする. (このブログをもし読むひとがいて, 例にあげた概念を知らなくてもいいんだけれど …… ひけらかしたいわけではなくて, 高校数学くらいまでだと日常に対応物がありそうな気がして, いい例があんまり思いつかなかったというのはある. まあ …… どっちにしろ知らない場合は, 対応物をまわりではみかけていないはず, ということで …… .)

けれどこれらは「人間に (比較的) わかりやすい」概念であって, ある程度の「共有されたイメージ」によって議論の意思疎通がなされる. 対応するオブジェが, デコード先が実在しないのに !

これは想像力に関する高度な問題であるような気がしてきた - このとき, ふと「数学的世界」のようなものが「実在」するのではないか ? と思いたくなる - 思ったりする. そしてわれわれがやっているのは「数学的世界」を発見することだけなのではないか ?


このことについて, ひとつの (ぼくにとって) 新しい視点を与えてメモするのがこの記事を書き始めたときの目的だったので, 一旦それを試みる.

結局のところ, 我々はさまざまな整合した状況に対して, 強固な整合性が与えられたときに, それを「世界」として学習することがあるのではないか. それがどうして可能なのか, ということはコーディングに関する問題 …… としてブラックボックスに放り込む (あまり解決していないような気もするが). とにかく, 先程のよくわからない数理哲学的な問題は, こういった想像力やコーディングに関する問題を逆転させたものが内含されているのではないか. こういった「人間にとってわかりやすい整合した事実群」みたいな, 「世界」的なコーディングを可能にするオブジェのことを「世界化可能物」と一旦呼ぶ.

こうすると, 問題は「ある意味では」簡単になって - ひとつのアンサーが与えられる. つまり, 「結局のところ, 人間は数学のなかに世界化可能物を見出しているからコーディングによって数学的世界があるように想像可能なのだ」というもの.

もちろんこの "アンサー" は, 問題の言い換え程度に近いもので - 別になんら問題を解決してはいない. 想像力のメカニズムについてはなにもわかっていないし (これは仮に記号論の文脈になんとか帰着できるとしても), どうして数学のなかにそのような世界化可能物を見出すことができるのかもわからないし …… ほかにもあげればキリがないだろうが, とにかくこういった言い換えができるのではないかということが当初いいたかった.


当初の問題 …… つまり数学がつくられるものか発見されるものか, という問いは, この "数学" の部分をいろいろな単語に …… "デザイン" とか, "小説" とか, そのほか色々な単語におきかえても slogan として成立する問いであるとおもう. ただ, 数学のひとつの特徴としては, (一応建前上は) 「すべての命題が証明され, その意味で論理的に正当でないとならない」という, ある意味では非常に強い制約が課されている.*1

そうあったとき, そもそも何故そのような強い制約のなかで, 「世界化可能物」があるのか …… "デコーディング" されうるコードがあるのか …… .*2

たとえば, どうやら現実をみたときに, 「ひとつのもの」と「ふたつのもの」をあわせると「みっつのもの」となる. そして, 「ひとつ」を "1" に, 「ふたつ」を "2" に, 「みっつ」を "3" にコードする. すると, 何故か 1 + 2 = 3 という数式が実際に数学において論理的に成立している !

つまりひとつの発見として, どうやらここでのコーディングは「世界における正当性」を「論理的正当性」に移すことができるらしい - この探究によって, (少なくとも素朴には) 世界認識のなかに「正当性」的感覚があることが理解できる. そして, あるいはそのようなコーディングについてこれを「直感」と呼んでいるのではないか ? このとき非常に重要な問題として …… 「そのような直感はなぜ存在しうるのか ?」というものがあるだろう. けしてこれは先の足し算の例においても自明なことではない.

最近ぼくはこういった直感のことを指して, あるいは「物理的直感」といったりすることがある - つまり, 「数理世界的想像のもとでの物理的直感でもって議論あるいは対話を済ます」ということはわりと数学の営みにおいてはなされていて, そういうことってある意味で「物理」だなあとおもったりしている. "1", "2", "3", とものを身の回りのもの数えることをぼくはある意味では物理だとおもっていたりもする.

とにかく, そうすると, こういった物理的直感に関する問題というのは, 記号論に関してさらに正当性と論理という付加構造をつけたうえで, どうしてそのようなコーディングが存在するのかを問うていると思うことができるかもしれない.


コーディングに関する問題は, 少なくともぼくのなかでは, 原則的に「結局なにもわからない」という結論に至る. しかし, とにかく (だからこそ ?) コーディングに関連する問題への帰着可能性をみれれば - 問題を保留的に …… "ごくわずかに" 解決したことにできるかもしれない ?

色々話が散らかっているが, 数学と想像力に関して思ったことをかいた - 気が向けばまた探求を試みたい.

*1:この制約が「世界化可能性」を誘起しうるのかもしれない ? よくわからないけれど.

*2:今思ったが, デコーディングもひとつのコードかもしれない. そうおもったときに, "コードのデコーディング可能性" っていうのは非常に非自明な問題なんじゃないか ?

無題

自分が毀損してしまった純真なるこころについて, その毀損行為のことを考えて, けれどもちろん償うこともできず, 許されることもなく, すべての罪をその時点からずっと, 身に受けなければならない.

これ以上罪を重ねる前に自殺したほうがいいかもしれない. あるいは, 独り善がりの「救い」に浸らないために.

それは痛みかもしれない

予防線を張るなっていわれても, 怖くて, 臆病なものだから, 人生のいろんな節で - 大小問わず - ぼくの場合なまじ局所最適がみえやすかったばかりにひとよりも - 保険をかけて生きてきた.

怖いのかもしれない. 保険をかけて, 何重ものセーフティーネットのなかで, そこにファイアウォールを築いて, よろしくやっていれば, いくらか安心だ. セーフティー. そこに危険はない.


「人間の在り方」なんてものを自分が規定できると - そんなことはないのだけれども, そう思い上がっている節はあった (ある). しかしながら, どうやら, 「よくわからないもの」だらけ - マスの原理とはいったものの, 体感してみれば, それは「よくわからない」だけではなく, 「意味がわからない」ものでもあった. しかも, 端的にいえば, 不愉快なことに, 意味のわからないものによってそこで意味が重ねがけされているようであった. 意味を脱却せよと嘯いてはいるが, 自分がここまで意味に翻弄されるとは思っていなかったのかもしれない - なんにせよ, 「意図不明なカタツムリをめいめい食っている」ようにも感じられる.

けれど, それはあくまでわたしの PoV においては, わたしにはない現実で生じた痛みも, 苦しみも, うんざりした理解も, 血も, 骨もない - わたしにあるのはわたしの現実だけ. 「わかりあえる」と幻想することもあったが, 結局は「わかりあえなさ」だけがずっと残っている. きっとそこには人生分の発見が - いや, 経験があったはずだが, それをわたしは知らない. わたしが明示的に与えられうるのはその上澄の言葉と, いくらかの仕草と …… とにかくごくわずかの部分だけ. 人生は - すべての意味を取っ払ったとき, 別に HAPPY でもなんでもないのかもしれない.


どこか遠いところにいきたい. そのワンダリングは, そうとしれず, あるいは倒錯なのかもしれない - 一度きりの, 「いま」「ここ」以外への想像力が, 対応しない現実をみせてしまうから …… それもある意味, 精神病なのかもしれないな. みんな苦しいだけの ? 「いま」が寒いのは, 嫌なのかもしれない.

「いま」が寂しいのは, 怖いのかもしれない. けれど, 「いま」から逃げる想像力について, 対応する「いま」はどこにあるのだろう ? わたしが寂しいのを紛らわすために, いろんなファイアウォールを構築して, わたしをいまから遠ざける - そういう道具の開発. それは, けど, 虚しいような気がする - ぼくにとっては. 悲しいことに - 喜ばしいことに - あるいは …… そこに意味なんてないし, 感情にわざわざ御膳立てすることもない.

そろそろ受け入れてもいいんじゃないだろうか. 不甲斐ないものを. 理なきものを. 悲しいものを. 痛いものを. 馬鹿げたものを. 無菌室で展示するのでなくて, 荒れ果てた土壌のなかにいることで …… けれど, それは「いま」「ここ」なんだろうか. 「いま」「ここ」はどうあるんだろうか …… いや, 意味のない問いかけばかり - 痛みがあるようでない - ないようである場所.

結局のところ, 怖くって逃げている. ぼくは痛いのが, とても怖かった - そして怖い. 泣き喚いて …… 子供とかわりなく. 痛みのある「いま」に戻って, 痛いときに泣き喚くようであれば …… それがいいもわるいもわからない. それは痛みかもしれない.

けれど …… 痛いまま死ぬのは嫌だ - 縋りたい. 縋って生きていたい. 機械仕掛けの神に救われたい. 七十回輪廻して助かりたい. そんな …… 未来視 - - - すべてが正しい妄想をする: 弱くて, しょうもない自分がいる.

眼差し

みることですら, というよりも精神活動においては - みる, 感じる, おもうことが基本的にその割合を多く占めるが - それは分析的な眼を呼び寄せる. hidden constants を暴く眼 - 余白に, 空虚に, いまでないどこかのあり得る可能性に, 向けられる眼 …… 眼差しには指向性があるのか ?

総体への眼差しはそしていかなるものとなるのか. 身体はどこに向かうのか.