空-Q-所為

在の実践

感情誘起灯, シャブ太郎の行方

曲率ひとつに緻密な設計, 耐久性, 工数, 技術, そして hard work がそこに積載している: みんな気に留めなくても, ぼくが気に留めているあいだはアートなんだろう. すると, やはり凝固された意味が変容してくる. しかしながら, われわれの世界を (素朴にしかし) 彩りもした概念境界を少しずつ溶かして無明のものを多くしていくことが一体どうして善なんだ ? 倫理がここにあるなら金融機関は来月にも再来月にも店仕舞いしていい.

空前のアトラクタが過ぎ去り, 空虚さが振動となって物在的な由来をめいめい語るが, なにもかもが蔑ろにされていく. そして過去のわたしらしきものとわたしは断絶され, あの魅力は結局なんだったのだっけ ?

神経の交換情報だけがわたしをどこかにつなぎとめるような錯覚, 希望, 羨望, 絶望, 生の在り方をとめていく. 「哲学的な考えをしている」がいったいなにか. なにに拘ってもいいんだろうけれど, つまり, ある意味では「そういうかたちでしかあれなかった」, わたしたちは想像力の残骸.

意味のあるものと意味のないものの区別が次第に虚になっていけばいい. 次第に誘爆されればいい. いつでも世界観はわたしの敵であるし, あるいはここでないどこかを妄想させる癖がある. 人間には理解可能なものを理解してしまう癖がある.

一切合切が速度を変化させる. しかし, 取るに足らないもの性がもたらす世界観の平坦さは, わたしの背がわたしの目前にないのと同様なかたちで, もっとも小さな機械が優れた hack を世界にやっているように, すべては relative に, いやこれもきっと混淆の世界が, やがて狂っていたことに気付くかたちで狂っていく. それはわたしを反映してもいるのか ? 単純な世界観がどうやら独立した外的近縁にあるらしい. 根拠のない警報が街を走破する.

hard work のうえで移動するすべての時間が, 労られない精神がいつでも交換する. 一方通行の理念. 再生されぬレコードに付随する傷みばかりが, わたしをまだ今日も継続させる鎖でもある. わたしの意思であるとか, そういったものは重要ではないのだ.

やがて時間と色が関連するかたちで世界が変容していく: としても世界観の変わらない部分が叫ぶ. 一網打尽にされた理念の群れにすがって生きていくのも馬鹿げた話, しかしそういう気付かなさっていうのは, ひとつには幸せなことなのかもしれない. 感覚器がひとつもなくなれば, 不幸せなことなんかきっとなくなるけど, しかし, ひとつの viewpoint においてはそれだって意図不明. わたしはどうやらカタツムリだ. すれば棄てねばならぬものはきっと指か ?

いくつもの運命を予感するようなかたちで, わたしは ~ に溺れてばかり. そんなところに感情はないかもしれない. なにも面白いことがないかもしれない. ジャンキースタイルっていうのは真似するものじゃなくて, みんな「なれ果て」がずっと続いているだけなのかもしれない. 時間が繰り返しているだけかもしれない. 不眠症の怨念かもしれない. どこへもいけないのかもしれない. しかしどこかへ運ばれていく. そこでは心が捻れている. ここはどこだ ?

行方知れずの鳥が, 骨盤を叩いてシチューにしている. きっと水銀の香もする.