空-Q-所為

在の実践

認識行為

わたしが行為 A をおこなうとき, 「わたしが行為 A をおこなう」ことをわたしが感じてもいる (感受). この感受を受容する行為のこととして「行為の自己認識」とこれをあらわすこともできよう. この行為は実践においてひとつの基本的な - それゆえに hidden constraiant(s) としても機能しうる - ものであると理解している. この行為のひとつの重要なポイントは, 「(記号的な (誤謬を許す) PoV においては) 階層のことなる (あるいはそのようにも捉えられる) 事項のあいだに, "不可思議な link" が構築されること」にあると理解している. この不可思議な link について, これを完全に「同一視」してしまうと (それは錯覚的なことである), 現がより不可解にもなってしまいうる ………… かもしれない. 少なくともぼくにとっては. しかしながら, もちろんこれらを記号的に「分離」するつもりはまったくない - とは言いつつも, 実際にこうして「指摘」をおこなっているという側面がある.